命を懸けるのが惜しくないような何かが欲しい。できれば才能も

どうもこんばんは。

ここ数日寝る時間を固定させてみたけれど、やっぱり好きな時間に眠りにつきたい

そんなこんなでガタガタな生活に戻したトシアキです。

 

いつだか今僕には「やるべきこと」がないという話をしましたけれど、僕にとって一番嫌なのは「やりたいこと」がないことなんですよね。

 

なんだかいい導入なので今回は早めにタイトルについて話していきます。

僕は小学生から高校にかけてあり得ないくらいゲームが好きだったんですよね。

何をするときもゲームのことを考えているし、生活の基準ももちろんゲーム。

冗談抜きで一日中ゲームをし続けることも全然苦じゃない。

はたから見たらどうしようもないような、そんな人間だったんです。

 

ただ、あまりにも学校をさぼりすぎて単位が危うかったのと、この環境に身を置いておくのはまずいんじゃないかという考えから受験が終わるまでゲームから距離をおいたんですよ。

最初は生活基準と、言ってしまえば生きがいのようなものが途端になくなるわけですから

もう酷いありさまで、後に聞いたら友達には

「あの時のお前は人を拒絶してた。」

とか言われたりもして、まあ病んでいたわけです。

 

でも人間っていうのは柔軟な生き物で、いやみんながみんなそうかはわからないから

ここではトシアキっていう人物はってことにしておくとして

そのうち慣れ始めたんですね。いつだか話した孤独と同じように。

それからしばらくは、今までやってこなかった勉強に対してもある程度意欲的にとりくんで、結果もぼちぼちついてきて、周りからの目も変わってきて。

それで思ったわけです。

「これじゃないんだよなぁ」

って。

 

そんな思いが頭に浮かんでしまってからはもう緩やかな右下下がりをたどっていくようなもので、ここまでやってきたんだからあと少しはゲームはひかえよう。

もう少しだけだからと頭に入っていない勉強をしてだらだらと時間を過ごしていく。

そして結局大した結果が実ることなく何となくで終わってしまった。

 

とまあここまでは別にあまり気にしてもいないし、結果的に最悪な結果で終わったわけでもないから別にいいんです。

だが問題はここからで、あんなに楽しみにして我慢してたゲームを買ってプレイしても一日目でものすごい速さでストーリーを終わらせて、なんだか昔みたいに楽しめないんです。

昔ならそこから何日でも家にこもっていたし、友達の誘いも断ってでもゲームっていうなんというか、意地ていうか、根性というのか。

それを楽しむためならばなんでもするし、時間も惜しくないそんなだったのになぁ

 

そんなこんなでいまにいたります。

ゆゆうたさんがピアノを24時間弾いてるのをみて、なんだか俺も昔はこうだったのになっていう焦り、不安感んでもって自己嫌悪に陥ってしまったわけです。

 

ここで何もせずに機械のような日々を送ってしまうのは自称社会不適合者としては見過ごせない。

なのでここで一つ、心にこの言葉をとどめて生活をするようにしたいと思います。

「手を抜くか、本気でやるか。なんとなくはなし。」

別に昔に戻ろうとしてゲームをやりまくれってわけじゃないんです。

何かに熱中していないとこのトシアキはすぐにだらけてしまいますから、やらないなら手を抜くことに本気をだしていこうと思うわけですよ。

 

なんだか中学生が考えそうなことを言っているのはわかっていますが、それでもとりあえずはこれを意識して生きていこうと思います。

もちろんゲームもやりますけどね。

 

皆さんには何か熱中できることはありますか?

ないと答えた人は僕と同じように焦りを感じたことがあるのではないでしょうか。

そこで目をそらしてしまうのは簡単ではありますが、同時にその不安感を未来の自分へ先送りするということでもあります。

だからとりあえずは生きることに精一杯になってみるのはいいかもしれません。

こんな便利な世の中で生きるのに精一杯なひとは貴重ですから。

 

今日ここで意思を示したこの文章を何度でも見直して精一杯頑張っていこうと思います。

 

それでは読んでくれたあなた

良い一日を

「マネーショート」をみたよ。んで危機感をおぼえたよ。

お題「#おうち時間

 

どうもお久しぶりです。トシアキです。

だらだらと無益な生活を送るのはなんだかなぁ、と思って始めたこのブログっですが

気が付けば一週間も放置した状態になってしまっていました。

思えば一番最初に投稿したのは「孤独ってなれるよね」ってなタイトルでしたが、その通りになっていたので何かを発信することで堕落感が薄れればいいなとそんなことを考えて書いている次第です。

 

最近といえばまだやはりコロナは収束していませんが、少し前と比べると危機感が薄れているようにも感じます。

それが良いのか悪いのかは僕にはわかりませんが、新入生として胸を膨らませていたこの気持ちが薄れてしまったのはなんだか少し悲しいです。

まあ薄れるというかなくなってますけどね。

 

今回はお題なんてのをつけてみましたけれども、引っ越してからすぐ自粛で周りに友達どころか知り合いすらいないトシアキにとってはほとんどの時間が「おうち時間」にならざるおえないんですけどね。へへ

 

まあここらでタイトルにもある映画「マネーショート」を見たことについて話していきますかね。

僕はこういう「頭のおかしいやつだと思われていた人が最後に勝ち抜けする」みたいな話がすごく好きなんですよね。

それが実話に基づく話だっていうんだからやっぱり観た後の爽快感でただただ

「よかった」

って思いましたね。

 

ただ少し思い返してみたら結局なにが起きてどうなったか全然わかっていない自分に驚きましたね。

それから興味本位で少し調べてみたら、まあ知らないことだらけで

映画をみた後の爽快感は一気に謎の危機感に変わってしまって最近では毎日1、2時間はwikiとにらめっこしていますね。

 

僕は昔から歴史を学ぶのが大嫌いだったんです。

歴史を学ぶくらいなら化学や数学を学びたかったし、そもそも教科書に書いてある事がどうにもうさん臭く思えてしまって。

遊んでその日一日が楽しければそれでいいじゃないかってね。

ただこの年になって経済とか政治とかいい加減知っておかないとなって思ったり、興味をもってしまうとどうにも歴史をしっかりと学んでおくべきだったなと思いますね。

まだ幼く、考え方がまっすぐだったころの僕がうさん臭く思っていたことの正体はやっぱりちゃんとあったんですね。

........18歳で「この年になって」とか言っちゃってますけど

 

どっかのなんちゃらフューリーが

「未来はわからない、希望をもって精一杯やるだけだ。」

とかいってましたけど、精一杯今を生きていればある種未来がわかるようなこともあるんでしょうね。

「マネーショート」をみておもったのはこのセリフと

「ピンチはチャンスにもなる」

でした。

 

最近はどうにも良いことがなく嫌なことが続いていると感じてしまいますが

今日よりも明日を少しでも良くできるように精一杯やってみようとおもいます。

 

それではこれを読んでくださったそこのあなた!

よい一日を

 

 

 

 

 

社会は適合してくれないし僕は適合したくない

毎日投稿をなかったことにして、気まぐれ投稿に切り替えました。

どうもトシアキです。

 

最近はニュースサイトを見ていてもコロナばっかりでなんだかなぁという感じでしたが2,3日前からは物騒なニュースも増え始めてどうなってしまうんだろうと思っております。

 

家に居るとき僕は高校数学の復讐をしたり、読書したり、ゲームしたり、映画をみたり、英単語を覚えたり、料理をしたりしているのですが、受験を終えた今の僕には「やるべきこと」がないんですよね。

受験生の時は常に「勉強」に追われていましたからね。

やったかどうかは別としてね

「勉強」が嫌いっていう人はこの追われてる感覚がいけないんじゃないかと思うんですよ。

 

なにか好きなことに没頭したりすると、それについて詳しくなったり、うまくなったりすると思うんです。

自分が努力していることを自覚せずに努力する。

「好きこそ物の上手なれ」

なんて言葉もありますしね。

イチローさんも似たようなことを言っていた気がします。

 

僕は勉強と努力は同義語だと思っていて、「勉強が嫌い」と言っている人は実際のところいないはずとも思っています。

ただやっぱり、何かを強要されると嫌いになってしまうのは仕方のないことでもあって

勉強を強要してしまい、努力を強要してしまうのは今の教育システムですしね。

 

ところがこのトシアキはとても責任感に欠陥のある人間でして、何かを強要されたところで責任を問われることを省みずに「やーめた」と言える人間なんです。

僕にとっての強みであり、弱点であることっていうのは僕が社会不適合者であることである。

周りの人からは白い目でみられますけどね。

 

なんだか今日は頭が働かなくて、文章もなかなか書けないので今日はここらでお終いにします。

読んでくれたそこのあなた

おやすみなさい

 

 

共通点を探してしまう。あと今日子さん

どうもこんばんわトシアキです。

最近はなんだか夜になると肌寒くて、冷え性の僕はとてもつらいです。

 

この間バイトの応募をwebでしたんですけどなかなか返事が来なかったんですよね。

なので電話して面接の日程を決めてもらったんです。

んでもってその面接の当日の朝にwebで返信が来ていたので、なんだろうと思って見てみたら

「コロナの影響により、応募を締め切りました。」

ん?今日の面接は?

僕は落ちるのが確定している面接を受けてきました。

 

最近はどこもバイト募集を締め切ったりしているみたいで、特に飲食店なんかは店を閉めたりするところもあるくらいですからね。

一人暮らしなので飲食店でバイトをしたいと思っていましたが、かないそうになくて少し悲しいです。

 

とまあ暗い話はこの辺にしておいて、今回は僕が「掟上今日子の備忘録」を読んだ時の話をしていきますかね。

 

僕は本を読んだりする時にメモをとったりすることがあるんです。

この本を読んだ時も僕はそうしていたんですけど。

そして読み進めていったら今日子さんはこんなことを言ったんです。

「わたしはメモをとりません。」

ってね。

なんだか現実でメモをとってる自分との対比に笑ってしまって、今でも印象に残っています。

 

共通点っていうのはやっぱり人の目を引くと思うんですよね。

 

誰かと仲良くなるには最初にしっかりと自己開示をしなくてはならない。

それはなぜか、その人との共通点を見つけさせなければいけないから。

 

今回の場合は「メモ」という共通点ですね。

自分の強みでもあり、弱みでもある。

そして、逆鱗にもなりうる「記憶」に対する予防策にもできるけど、強みも消してしまうかもしれない。

そこで今日子さんは「メモをとらない」という結論にいたった。

 

そして「メモの魔力」を読んでみて

「あ、すごい」

とIQを下げた思考により「メモをとる」という結論にいたったこのトシアキ。

( ゚Д゚)

 

まあ今日子さんは一日以内の記憶力はいいっていうのも理由にありますけどね。

 

そんなわけで、今回の件から俺が得るべき教訓は

「共通点は人の目を引く」

ですね。

意中の方がいる人は自分を大きく見せるのではなく、自分を見せていくのもいいかもしれません。

 

お腹がすいたので今日はここまでで

ここまで読んでくれたそこのあなた!

よい夜を

ひびがはいった皿は割れてなくても処分すべき

できれば毎日投稿したいと思っていましたができませんでした。

はい。

どうもトシアキです。

昨日は徹夜してからあり得ないくらい不摂生な生活を送っていたのでブログも書かずに、ましてやご飯もつくっていませんでしたね。

 

先ほどはてなブロググループという存在を知り、映画と読書のグループに入りました。

僕は本でも映画でも違う作品のネタがさり気なく散りばめられてるのが好きなんですよね。

だからそんな感じにこのブログでもネタを使っていけたらと思います。

そのうち好きな映画とか本も紹介できたらいいかな。

 

さて、今回は早めにタイトルについて話していきますかね。

長く書くのがめんどくさいとかではないですよ。

いや、ほんとに

少し眠いってのはあるけど。

 

今回のタイトルは何か深い意味があるわけでもなく、大した面白みもなく、ただただ僕が一人暮らしを始めて得た教訓みたいなものです。

少しひびがはいった皿を少しだから大丈夫だって使い続けていたら、完成した料理を運んでいる時に割れてしまって料理をぶちまける。

 

くそが

 

誰かに嫌なことをされるより自分が作った物が壊れてしまったりとかが僕にとってはショックですね。

やるせない気持ちでいっぱいになってしまって、その瞬間は全てに対するやる気とかがなくなっちゃってね。

とかとか

 

しかし陳腐にして平凡で凡俗な思考回路を有しているこのトシアキは何かに失敗したりしてつまずいた時にどう対処すべきかを考えていく男なわけですよ。

まあ対症療法ですら回数をこなさないと学べないところは陳腐極まれりってかんじですけどね。

今回の件から俺が得るべき教訓は

 

欠陥を見つけた時、「もしも」を考えて行動すべき

 

だ。

めんどくさいの一言で片づけるのは簡単だが、それによって発生することもある程度予想しておかなければならない。

 

まあこんな感じですかね。

別に皿を割るという一つのことに対してだけではなくこれから起こるいろいろな失敗も防げるようになったとしたら、この失敗にも意味があったとそう思ってポジティブに生きたいとおもいます。

 

ねむい。

ねよう。

それではここまでよんでくれたそこのあなた!

おやすみなさい。

 

追記

一日さぼってしまったら、二日目もさぼっちゃうよね。

善人の定義

今日はいつもと違い、夕飯を食べた後に書いています。

どうもトシアキです。

まだ三日目なのにいつもとか言ってますけど、ここはご愛敬ということで。

 

今日の晩御飯は見た目はともかく味は満足いったので、いい感じに満腹で、ええ感じに満足であります。

 

満腹といえば、僕は座ってご飯を食べてお腹がいっぱいになった時立ち上がると空腹感が戻ってくることがあるんですですよね。

いつだか友達と焼き肉を食べて、自分含めてみんなが吐きそうになっている時にその象が起きたんですよ。だから僕が

「ラーメン食べに行こう」

と言ったわけなのですが、さすがにみんな反対するわけですからこの現象について語ったら友達に

「病気や」

と言われてしまいましたね。

彼とは今も友達なのですが、最近あまり話せていないのがなんとも寂しいです。

僕は今一人暮らしをしているわけなのですが、地元から一時間ちょっとで行ける場所ではあるんですよね。

でもやっぱりコロナのせいで友達と会えないってのは一人暮らしのつらいところですね。

 

さてさて長らく話してきたところでタイトルについて話していきましょう。

最近はというかずっと前からなのかもしれませんが

 

偽善

 

という言葉がとても知られていますよね。

僕はこの言葉をfateというアニメで知ったわけですが有名なところでいくと

「やらない善よりやる偽善」

とかいうフレーズでもよく耳にします。

 

じゃあこの偽善と善では何が違うのかと考えたときに僕の結論としては行動に対する動機なのではないのかなとおもいます。

何かを企てて行う善行を偽善というのではないのかなと。

ただ、ここで一つ問題があるんですよね。

それはその人が何を思って、何を考えて、何に苛まれて行動を起こしたのかなんて本人にしかわからないんです。

なんなら本人にすらわからずに行動している事のほうが多いんじゃないかと思います。

 

良い行いをしようとしたけれど、結局は出来なかったって事ありますよね。

電車で席を譲ろうと思ってもなかなか声を掛けられなかったりね。

でも後になってやっぱりやっておけばよかったなと考えてしまったりして

後日席を譲ってる人を見たときにいろんな要因を考えて

「あいつは偽善者だ。」

って決めつけてしまう。

そうしてまた後日席を譲る機会に遭遇した時に、今度は周りに偽善者と思われたくないという理由で譲れない。

悪循環ですね。

 

要するに偽善という言葉は嫉妬から生まれたことばなのではないのかなと、嫉妬心の大きい、そして器は小さいトシアキは思うわけです。

 

こうした嫉妬から生まれた悪循環によって、良いと思っていても行動に移せない人がたくさんいるであろうこの世の中では善人の定義ってのは

 

善行を行う全ての人

 

でいいと思うんですよね。

偽善という言葉はなくなっていいと思います。

「やらない善よりやる偽善」

ではなく

「みんなで善行しようぜ!」

と声を大にして言えるようなそんな世の中であったらいいなと思っています。

 

まあ僕は器の小さい人間なのでこの誰とでも関係をもてる情報社会でも限られた人にしか手を差し伸べない悪人でいようとおもってますけどね。ぐへへ

 

さて、文字数も多くなってきたことですし本日の悪の一員トシアキの戯言はここらで締めにしていこうかな。

ん、そのしかめっ面はなんだ?

なんて悪役じみたことも言ってみちゃったりしてね。

じゃあそこのこれを読んでいるあなた!

良い一日を

 

 

 

俺にとっては逆じゃない

どうもおはようございますトシアキです。

念のためこんにちはとこんばんはも

今日も今日とて暇で退屈で、けれど決して嫌いにはなれない

そんな日を過ごしていました。

「ありふれた日々が何にも代えることのできない幸せだ。」

とか映画でよく耳にするフレーズですけれど、僕みたいなゆったりとした暇な日は嫌いじゃないけど一人で何もせずにいるのは耐えられないめんどくさい性格を持ってしまうと、どうにも思ってしまうわけです。

 

それはこいつにとってはありふれていないんだろうな

 

とね。

映画の登場人物のような普通の人が一生経験せずにいるようなことを頻繁に経験しているような人には新しいものや珍しいものに遭遇することが当たり前になってしまって、ありふれてしまって、普通の人にとってありふれているものが劇的にみえてしまうんだろうなって。

 

ん?まってくれよトシアキ。じゃあさっきの

「...けれど決して嫌いになれない」

ってのはうそだったのか?

と思うかもしれませんがそれは違います。

単純に僕の今日という日は暇で退屈ではありましたけれどもありふれた日々ではなかったんですよ。

 

普通という枠組みに含まれるのが嫌だっていう人って結構いると思うんですよね。

子供っぽいと言われるかもしれませんが、僕もその一人なんですよ。

昔のぼくは朝起きて、学校に行って、友達と遊んで、家に帰って、飯食って寝る。

そんな当たり前で、ありふれた毎日がどうにも嫌だなって思っていたんです。

 

まあいろいろと、わちゃわちゃと、戯言を述べたところで前回はしていなかったタイトル回収をしていこうかな。

 

昼夜逆転

 

どんな時でも朝に眠りにつく僕にとって、朝に寝るという生活習慣は逆じゃないんです。

僕にとっては、俺にとっては逆じゃない。

結局のところ自分にとってのありふれたなのか、みんなにとってのありふれたなのかその違いは大きいってだけの話なんですね。

僕にとってありふれていて、みんなにとってありふれていない。

そんな毎日を過ごしていけたらなとおもっている、そんな私トシアキです。

 

...昼夜逆転に対する言い訳だけでよくこんなに文章書けるなこいつ。

 

そんなこんなでお腹も好いてきたのでご飯を作りに行ってきたいと思います。

ここまで読んでくれたそこのあなた!

よい一日を